2007年夏の終わりにバルカン半島から帰国した後、とある山小屋に転がり込みました。
そんなおれを頼って、さらに転がり込んでくる連中が次々と現れました。
彼らはいずれも海外から旅をしていて、日本にたどり着いた連中ばかり。
いつの間にか、看板も出してないのにまるで山のゲストハウスのような暮らしが始まりました。
日本に戻ったあと、ばあちゃんが旅立ち、クロアチアで何ヶ月も編集してきたバルカン半島の映像データは全て壊れてしまい、すっかり気分が落ち込んでしまってたので、彼らの登場はそんなおれの生活に風をもたらしてくれました。
キャメロン
まず最初にやってきたのは、つい半月前にボスニアのレンボーギャザリングで出会ったオーストラリア人、キャメロン。
キャメロンは、おれがボスニアの小さな村でヒッチハイクをしていた時にバイクで通りかかり、その場で温かいスープを作ってくれた心優しい奴。
「ここへ来る途中、電車の中でおもしろい3人組に出会ったんだ」
とキャメロン。
その3人組は、外国から来たミュージシャンたちで、なんと電車の中でいきなりライブを始めたという。しかもその車両中が大いに盛り上がったらしい‥
なんだかぶっ飛んだヤンチャな匂いのする話しだ。
「素敵な連中だったから、モクの連絡先を教えておいたよ」
同じ日、クロアチア在住の日本人ジュンコからメールが届いた。
「4年前にクロアチアで出会ったジミーっていうクラリネット吹きが今日本に来てるらしいから、モクの連絡先教えといたよ。素敵な人だから泊めてあげてね」
それはなんと、キャメロンが偶然電車で出会った連中と同一人物だった。
―こりゃ何か縁があるな。
翌日、さっそく電話が鳴った。
「ヘーイ、きみはモクかい?」
「ジミーだね。話しは聞いてるよ。山の中で良かったらここにおいでよ」
今まで旅先で色んな人たちにお世話になってきたから、今度はオレが旅人たちを受け入れる事で恩返しをしたかった。
数日後、待ち合わせをした駅の改札口から出てきたのはガチャピンの着ぐるみを着た外国人だった。
それがジミー(イギリス人)。それにウッドベースを抱えたジョニー(アメリカ)とギターを持った女の子トゥリ―ン(エストニア)だった。
―これが噂の三人組かぁ‥
三人からぶっ飛んだ野生的な旅人のオーラが出まくっていた。
初めて会うのに、ジミーは改札を出ると迷うことなくおれの所へきた。
「Welcome to the mountain !(ようこそ山へ!)」
こうして二組目の旅人たち、Too Dumb to Die( バンド名―『死ぬにはバカバカしすぎる』という意味 )との生活が始まった。
TOO DUMB TO DIE
彼らとの生活は意外と穏やかだった。
みんなそれぞれやりたい事を見つけ、ネコのように勝手に暮らしていた。
ジミーはいつもスケッチブックを持って外に出かけ、ジョニーはウッドベースの練習に余念がない。トゥリーンは布ぞうり作りに夢中になっている。
長い旅をしてきた彼らは、のんびり気ままな山の暮らしが気にいったようだった。
おれは気を取り直して、バルカン半島の映像のテープをまた一からハードディスクに取り込み始めていた。
そして、夜にはみんなでジャムセッション。ときには芝居(彼らの大道芸)の練習。
もともと彼らはサイクラウン・サーカスという自転車で世界を旅するサーカス一座のメンバーだという。
自転車で世界を旅する!?
しかもジョニーは大きなウッドベースを持ってるのに!(山に来た時、自転車は大阪に置いてきてました)
サーカスは数年前にヨーロッパを出発し、ロシア経由で中国に渡り、そこでこの3人はチームと別れ、日本に寄ったという事だった。(残りのメンバーはインドネシアへ向かったらしい)
‥なんてスケールのデカイ旅なんだろう。
紅一点、ギターのトゥリーンはまだ20才。2年前、高校を卒業して進路に悩んでいたときに、このサーカスが自分の町にやってきた。 そのとき彼女は「これだ!」と思い、迷わずこのサーカス一座に飛び込んだという。そしてはるばる東の果ての日本まで自転車でやってきたのだ。おれが出会った時には、すっかりたくましい旅人になっていた。
彼らの旅の様子はこちらで見れます↓
サイクラウン・サーカスの旅のドキュメンタリー映画がギリシャで上映されたみたいです。見たい〜! myspaceはこちら。
彼らはプロの旅人たち。一ヶ月近く一緒に暮らしたけど、毎週末名古屋や東京へ出かけては、お金を稼いで帰ってきた。
更におれが食料を買っている間、彼らはスーパーの入り口で演奏を始める。すると2~30分ほどで充分食費やガス代が払えるほど稼ぐのだ(ある時は45分で15000円も稼いでた!)。
その行動力と実力にはほんとに脱帽した。
山でもライブを2回企画したけど、どちらも大盛況だった。 彼らのパフォーマンスはいつも観る人たちの心を愉快にした。 オレもジャンベで参加
"Little Bike"
「今日はおれたちのPV撮影しようぜ」 ある朝、ジミーが言ってきた。 彼らはほんとにクリエイティブな連中で、毎朝早く起きてそれぞれの時間を過ごす。その日はおれが起きる前にみんなでPV撮影の企画を考えていたらしい。 そうと決まるとおれはカメラを回し、行き当たりばったりで撮影を始めた。 曲名は "Little Bike"。 なにも難しい事考えずに学芸会のように作って、楽しい撮影だった。
このPVのアイデアにしても、彼らの作る曲にしても、大道芸の芝居にしても、思いついた事をサッと形にしていく彼らの力や姿勢は、いい勉強になった。(ジミーは毎日描く絵をすぐにデジカメで撮影し、売るためのポストカードにしていた)
旅をしながらものを生み出すにはこの瞬発力が必要なんだと思った。
そんなこんなで彼らとの愉快な生活はあっという間に過ぎ、三人は風のように去っていった。
旅先に温かい空気を創り出す素敵な連中。 今日も彼らは世界のどこかで陽気な風を人々の心の中に吹かせているに違いない。なんつって。 日本を去ったあと、上海でもやってたみたい、電車の中で‥ ↓
さらに吹く風 その後、ジミーたちの紹介で同じくヨーロッパから自転車で旅をしているフランス人とイギリス人の夫婦、リチャードとスタニが訪れた。 この夫婦の最初の旅は、アラスカからパタゴニア(アルゼンチン)まで南北アメリカ大陸を5年かけて、自転車で縦断したという。 そして今回の旅は、なんとロンドンの自宅を売り払って、そのお金で旅をしていた。
ここに集まる旅人たちは、みんな全てを旅に捧げていた。
リチャードとスタニも数年かけてイギリスからゴビ砂漠を越えて日本にやってきた。
そして、妹分の旅人ヘレンや、ノルウェーのかわいいカップル、アイナルとマリアも次々に入れ替わり立ち替わりおれを訪ねてくれた。 アイナルとマリア。 2006年オスロ滞在中、よく彼らのアパートに夕食に招待してもらったものだった。 日本で再びマリアのおいしい料理を食べれて嬉しかったー!!
こうして旅人たちが次々とオレの生活に現れ、風を吹かせてくれたので、いつの間にか落ち込んでた時期を乗り越える事ができました。