CAFE巡り
ニューヨークでも、相変わらずバルカン半島の映像の編集を続けていました。
22日のイベントで作品を上映させてもらうことになってたのです。 (ギャラリーの常設で上映しているバージョンは、日本語字幕のうえ、時間が長いので編集が必要だったのです)
最初はギャラリーで編集してたんだけど、そのうちカフェに移り、居心地のいいカフェを探すのも楽しみの一つになりました。
ブルックリンのウィリアムズバーグのカフェ。いつもゴキゲンなジャムバンドが流れてます。
ウィリアムズバーグはニューヨークの下北沢のような町。
Cafe in Brooklyn, NYC
マンハッタンのカフェでは色んな国の会話が聞こえてきます。
Cafe in SOHO, NYC
2年前、クロアチアの島の村でこの作品の編集を始めたころ。
Island Hvar in Croatia.
2 years ago, when i started to edit this project.
振り返ると、この作品はアドリア海に浮かぶクロアチアの島で編集を始め、その後日本で編集し、今はニューヨークで編集してる‥
What' s my life !? But it's my life!
John
日本出発直前に、おれをサポートしてくれる仲間たち(音二、rayちゃん、はまちゃん)が現れたように、こっちでも頼もしい仲間と出会う事ができました。
サンフランシスコ出身のジョン。
ジョンのアパートには充分な広さのリビングと機材があるので、そこでナレーションをレコーディングさせてもらいました。
最初はカラオケマイクでレコーディングするつもりだったのに、ジョンのルームメイトが「これ使うかい?」と本格的なマイクを貸してくれたので、いい音質で録音することができました。ほんと恵まれてるぜ。
しかも、最初はジョンにナレーションを読んでもらってたんだけど、周りのみんなが「ヘタクソでもいいからモクが読むべきだ」と言うので、最終的におれがカタカナ英語でナレーションを読むことになりました。渋くキメたかったけど、かなり子供っぽいナレーションになりました‥
とにかくジョンは献身的なまでに協力してくれ、二人で時には大笑いしながら、楽しく作業ができました。
Otoji+ray
SOHOでの上映前日、日本から音二とrayちゃんが駆けつけてくれました。
しかも新曲を二曲持ってきてくれた!
今回も多忙なハマちゃんが協力してくれたそうです。
前回もらった4曲もリマスタリングしてくれ、さらに磨きがかかった音に仕上がっていました。
三人とも、遠くにいるおれの為にそこまで力を注いでくれるなんて‥‥
ってな訳で、二人がわざわざ駆けつけてくれたのはホントに嬉しかった。
ヘレンやジョンを紹介し、日米のおれのCREWたち!が集まれたのも、おれとしてはすごく嬉しかった。(残念ながらハマちゃんは来れなかったけど‥)。
音二たちは一週間の滞在中、観光は全くしなかったけど、この街のアーティストたちやアートシーンに触れる時間を過ごしたので「もうすでにまたニューヨークに戻りたい気分だ」と言って、この街をかなり気に入ったみたいでした。
上映 / Screening
22日、ついにバルカン半島の旅の作品「from Tokyo to the Morava river」がSOHOで上映されました。
今回は前半をまとめて「part 1」という形で、イベントの中で発表させてもらいました。
2006年、バルカン半島の旅に出たとき、どんな旅になるのか予想もつかなかったし、どんな作品になるのかも見えなかった。
ましてやニューヨークで発表することになるなんて、微塵も思っていなかった‥なんてつい振り返ってしまうぜ。
とにかく大勢の人に観てもらうのはなんか緊張しました。
みんな一生懸命画面を覗き込んでくれ、ウケる箇所では笑いも起こり、終わった後の評判も良かったので、とりあえずひと仕事終えた気分です。
この後、後半を編集してフルバージョンを仕上げていきます。
What's my Life? But it's my life!
I' ve been editing the Balkans film as usual even after moved to NYC.
I edit many times at the coffee shops. I enjoyed to explore comfortable places.
This project, I've been editing at the island of the Adriatic in Croatia, then Japan, and now here in NYC.
What's my life? But it's my life.
My Crew
John from San Francisco.
He helped me a lot.
He has good stuff for recording. So he let me use his place and system.
We were going to record with John's cheap karaoke microphone. But his room mate asked to us to use his microphone. It was really professional one! We were very lucky and enjoyed to work together.
Later, my Japanese friends, Otoji and ray also came from Japan.
They made music for my film.
So I was very happy to have them at the same time. My film crew from Japan and the states.
Screening
Eventually my film "from Tokyo to the Morava river" showed up at the gallery in SOHO on 22rd.
When I started to travel to the Balkans, I could't imagine what's gonna happen in this travel and which kind of film it will be and where I'm gonna show it.
Now it appeared in New York. I never imagined that.
I've just tried to catch the groove day by day.
Finally it brought me to NYC..
Anyway, the people liked my film. So after the event, I had holiday for few days!