6月26日(日)
「きみがあのマンドリンを弾く日本人かい?」
サラエボに訪れた時、なぜかおれたちの名はすでに広まっていた。
ボスニアの首都・サラエボは、モスタルから愛車のワーゲン ”ブバ” で4時間ほど。
川に沿って北上していくうちに、ヘルツェゴビナの荒涼とした風景は次第に濃い緑に変わっていきます。
山に囲まれた盆地サラエボは、90年代の紛争の時にはセルビア兵に街を取り囲まれ、山の上から実に3年間に渡って銃撃砲撃を受け続けたそうだ。
街にはモスタル同様 まだ銃痕だらけの建物がそこら中に残っている。まさに蜂の巣。
—かつてこれだけの弾丸がこの空間を通過して、どうやって生き残れた人たちがいたのだろう
と思ってしまうほどだ。
旅に出る前に
「ボスニアに行くなら」と友人のすすめで "ウェルカム・トゥ・サラエボ" という実話を元にした映画を見て、おれは震え上がった。ドキュメンタリー映像も使っているその作品には、イラク戦争中のバグダッドのような悲惨な街の様子が描かれていたのだ。
それから2ヶ月後、ついにおれはその街へやってきた。
おれたちはまずアナの家に荷物を降ろした。
アナはモスタルから一緒に来たナディムの友人。
彼女は小学校で音楽の先生をしているらしいが、とてもそうは見えない。
先生にしてはワイルドでぶっ飛び過ぎてるのだ。
でもベキムも先生でワイルドだしな。
きっとこれが典型的なボスニアの教師なのかも知れないな。
アナの部屋にはいつも誰かしら遊びにきてて、みんな大声で笑い、くせのある連中ばかりだった(勿論いい意味で)。
クロアチアで出会った俳優・アレンが「ボスニアはテキサスのようにワイルドだ」って言ってた理由が、彼女たちを見ているとよく分かった。
戦後の混沌とした状況がこういう空気を生みだしたのだろうか。それとも元々ボスニア人の気質なのだろうか・・
おれたちは夜の街に出かけた。
「この橋から第一次世界大戦は始まったのよ」
街の中心を流れる川にかかっている小さな橋を越える時、一緒にいたアンドレアが話してくれた。
この橋の上で1914年にオーストリア大公が暗殺され、それが世界大戦に発展していったというのだ。
『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれるバルカンらしいエピソード。
おれたちは "City Pub" というBarの表のテーブルで飲んでいた。
「きみがあのマンドリンを弾く日本人かい?」
そう尋ねてきたのは、詩人のミーシャだった。
ミーシャの話によれば、モスタルでのおれたちの演奏を聞いてた誰かが、サラエボに来てその話をしていたらしいのだ。
初めての街に訪れた時にすでに名が知れてるなんて、なんかいい気分だ。しかもあの恐れていたサラエボで!
ミーシャはとてもシャイな男で、元々ひっそりと詩を書いていたのだけど、その詩を友人が見つけ勝手に雑誌に投稿した事から彼の名は知られるようになったという。おれたちはこの後サラエボでは女性シンガーやロックミュージシャンなど、アーティストのところに滞在させてもらうようになるのだけど、サラエボのアーティストたちはみんな大らかで、いいアートシーンが生まれていると思った。
「よかったら明日ここでライブをやらないか?」
店にいたおじさんが提案してきた(このおじさんも有名なコメディアンだと
ベキムは言ってました)。
「Why not! (もちろんさ!)」こうしてサラエボでライブが決定した。
まるでコンサートツアーをしている気分だ。しかも行き当たりばったりに!
そんな風にイージーな旅ができるボスニアを好きになっていく。
「バルカンは新しい何かが生まれる可能性を秘めたヨーロッパに残された最後の場所だ」
とクロアチアでインタビューに答えてくれたあるジャーナリストの言葉を何となく実感し始めてきた。
ここには"隙間"がある。隙間があればこそ、そこに何かが生まれてくる可能性があるのだ。
その夜、おれたちは遅くまで飲み、出会ったばかりの陽気な仲間たちと深夜のサラエボを徘徊した。
恐怖のイメージを抱いていたサラエボは、そんな調子で始まった。
Balkans Travel Chapter 8. "Sarajevo"
26th June.
" Are you the Japanese guy who play mandolin? "
When we arrived in Sarajevo, we were already famous somehow.
To Sarajevo, it took 4 hours from Mostar by our car " BUBA".
Saravejo is surrounded by the mountains.
During the war in 90's, Serbian armys have surrounded this town and shot them from those mountains for 3 years!
There are so many bullet holes on the buildings same like Mostar.
I wonder how some people could survive in this town.
Before I left Japan, I watched one film is called " Welcome to Sarajevo ".
I shuddered with fear. It was like Baghdad at Iraq war.
Then 2 month later, I could reach this town somehow.
We put our stuff in Ana's apartment first. Ana is friend of Nadim who is musician came with us from Mostar.
Ana is a music teacher in junior school. But i couldn't believe it.
She is too wild to be a teacher. Oh,Bekim is also teacher and wild. So maybe they are typical Bosnian teacher, I guess..
Always somebodys there in Ana's apartment. And all of them were crazy.
Alen, the actor from Riheka said " Bosnia is more wild like Texas"
When I met them, I got the sense what he meant.
We hang out to the town.
" First world war was happened from this bridge "
When we were crossing the bridge on the river, Andrea told me.
According to her, some guy from Austrian king family was shot on this bridge on 1914.
Then it has expanded to First world war.
Woo, it sounds like typical Balkans story.
We took beer at outside of the bar.
" Are you the Japanese guy who play mandolin? "
It was Mesha's question. He met some guy who was listening our live in Mostar.
Then he told about us in Sarajevo. That's why we were already famous in Sarajevo.
"You should play tomorrow in this bar" somebody asked us.
"Why not !" We managed to make concert in Sarajevo at the first night.
Wow! It seems like we were making concert tour without any plans.
That's one of my dream man!
I like place where things can goin on like this.
" Balkans is last place in Europe where have possibility to happen something new "
Some guy answered to my interview in Rijeka.
I stared to understand what he meant.
There are some "space". That's why there are possibility to happen something.
Then we marched in town at midnight.
This was biging of Saraevo.
< Drinving shot in Bosnia>