バルカン半島の旅 No15. 「セルビア上陸」7月25日〜
スレムスカ・ミトロビツア
ボスニアをボートで出発して二日目の夕方、やっとセルビアの最初の町スレムスカ・ミトロビツァが見えてきました。
車で走ればアッという間の距離かも知れないけれど、人の気配のないジャングルに挟まれた川を下ってきたので、家がぽつぽつ見え始めた時には久々に文明社会に戻ってきた気分になりました。
町に近づくと手頃なフローティング・ハウス(川に浮いてる建物)が見えてきたので、おれたちはとりあえずそこに向かいました。
一体どんな連中が待ってるのだろう
ボスニアに滞在中、セルビア兵がボスニアのムスリムたちに対してどれだけ残酷な事をしてきたかインタビューを通して散々聞かされたので、おれはセルビアに対して少し”悪”のイメージを持っていたし、どこか敵地に向かうような気持ちもありました。
ところが上陸して10分後には、おれたちは陽気なサバ川の船乗りたちと楽しくラキア(バルカン地方の強い酒)を飲んでいました。
立ち寄ったフローティング・ハウスはフィッシャーマンズ・クラブのマリーナで、彼らは釣り好きな船乗りたちだったのです。
みんな人なつっこく、ボスニア人、ノルウェー人、そして日本人のこの奇妙なチームの突然の出現を楽しんでいました。
到着早々この陽気な船乗りたちによって、おれがそれまで抱いてたセルビアに対するイメージはガラリと変わったのです。
「あれは気が狂った連中がやったことさ」
90年代の紛争の時のことを尋ねたら、彼らはそう答えました。
実際にこのあとの船旅の途中、セルビアでは多くのナショナリスティック(民族主義・国粋主義 —「おれたちサイコー!あいつらFUCK!」みたいな考え)な連中に出会っていく事になるのですが、ラッキーなことに最初の町、ミトロビツァには特にオープンマインドな人が多かったのです。
※その理由の一つは、サバ川のこっち側(北側)は元々ハプスブルグ帝国で、
対岸(南側)は元々オスマン帝国だったから、その事が今でもそれぞれの
地域の気質として根付いている、とミトロヴィツァのある若者から聞きました。
ミトロビツァに到着して早々、ラキアで酔っぱらったベキムが船から転倒して顔にひどいケガを負うというハプニングがありました。
フランケンシュタイン並みに顔中に包帯を巻いてベキムが病院から戻ってきた時、彼を治療した先生も一緒でした。
29才の若い先生、ステファン。彼は治療中にベキムから旅の話を聞かされて、おれたちに興味を持ったみたいでした。
このステファンを通して町の色んな連中とつながっていったので、おれたちはセルビア最初のこの町で数日間を過ごす事になりました。相変わらずのジャムセッションの旅。
こういうアクシデントさえ新しい出会いにつなげていくベキムの事を「旅の天才(天災?)だ」とおれは褒めたたえました。
ミトロビツァでの日々
午前中は毎日子犬のヤラネを連れて町を散策しました。町なかにはローマ帝国時代の遺跡があるのでミトロビツァはかなり古い町だと思います。
ミトロビツァのサバ川はいい感じで大きく、そしてとても穏やか。
下るたびにそれぞれの川の表情に出会っていく船旅の中でもかなりごきげんな場所でした。
午後はそのサバ川のビーチで泳いだり、木陰でビールを飲みながらシエスタ。
ビーチでは
ニコラという地元の10才の少年がおれに懐いてきたので、一緒にバスケット・ボールなどして遊んでいました。
人見知りをせず、インドの少年みたいで好ましい奴だった。ところが、
「彼は2,3年後には盗みを始めるだろう」
とバスケット・コーチのピジャは言いました。
ニコラは12人兄弟で、親はアル中。子供たちは自分たちでお金を稼がなければならないそうだ。
「ひょっとしたら、お前があげた小遣いでドラッグを買いに行ったかも知れないぜ」
ともピジャは言っていました。
ニコラがドラッグなんてとてもおれには信じられないけど、この町ではヘロインなどのドラッグに手を染める少年たちが多いという。
全ては「貧困」が原因だとピジャは言いました。
一見平和な町だけど、ミトロビツァ(多分セルビア全体)では貧困が大きな影を落としているのです。
夕方、みんなの仕事もおわるごろになると、知り合った連中たちとサバ川に船を出します。
沖合いでみんなの船を並列につなげてプライベート船上パーティー!
美しいミトロビツァの夕焼けの中で、贅沢な時間が流れていきました。
肝心のセルビア入国のためのチェックをミトロビツァ出発直前に受けて(ゆるいぜバルカン)、おれたちは再びサバ川に船を出しました。
Balkans Travel Chapter 15. "Landing on Serbia "
24th July -
Sremska Mitrovica
2 days later since we left Bosnia by the boat, the first town in Serbia -Sremska Mitrovica- appeared.
Maybe it's not so long distance, if it's by the car. But we sailed the small boat by the river which is surrounded by the jungle.
So when we found few houses by the river, I felt like coming back to the human civilization.
We found one floating house, so headed to there.
- which kind of people are waiting for us ?-
I had negative impression about Serbian People through the interviews which I had with Muslim people in Bosnia.
They told me what Serbian army did to them during the war in 90's. It was so many horrible stories.
But, when we landed on this floating house, 10 minutes later we were already having good time with local fisher men and drinking Rakia with them.
This floating house was actually the fisherman's club and They were cheerful fishermen. very open minded people.They enjoyed our appearance.
" It was crazy people did"
They answered about the war.
Yeah, everywhere has crazy people and ordinary people.
Anyway that's how my image of Serbia was changed immideatly by them.
The informations are always just a information.
The experiences give me more reality.
Actually, after while we met a lot of nationalistic people in Serbia from young generations to old generations.
But especially the people from Mitrovica were very open minded.
At the first day, Bekim has got accident.
He fell down from the boat and hurt on his face.
When He came back from the hospital, he brought his doctor too.
Stevan 29 years old. Bekim told him about our travel. So he had interesting about us.
That's how we could connect to local people through Stevan and the fisher men.
"You're a ginious of travel"
I admired him.
Because he makes something new even from the accident.
MITROVICA DAYS
There are some ancient Roman ruins among the town.
So mitrovica should be an old town.
Jarane got friends which is wild dogs around the floating house.
River Sava in Mitrovica is bigger than in Brcko and peaceful as usual.
There is a comfortable beach by Sava. So almost everyday we hang out there and had Siesta.
I got a little friend. Nicola 10 years old. We played basket ball few times by the beach.
He was a good boy.
" He will start to stealing in this 2,3years"
Pija - the basket ball trainer - said.
Nicola has 11 brothers. And his parents are alcholic.
So they the kids have to earn money by themselves.
"Maybe he could go to buy some drugs with the money that you gave"
Pija continued.
I couldn't believe that Nicola takes drugs.
But according to Pija, many boys are hucked by drugs in mitrovica.
Mitrovica seems very peaceful, but in fact there are big problems about poorness.
Evening, we hang out to Sava with few boats. and joined those boat.
And sailing party!
Wao we didn't do anything, just like a permanent vacation!
Anyway, we had rich time with nice people and beautiful sun set in Mitrovica.
The Serbian captain checked us finally, then we got the right to travel in Serbia.
We left Mitrovica and kept on sailing the river.
ちょんまげ写真最高!
相変わらずおいしぃ~な。もっちゃんは^^
良い旅を♪
Posted by: pon | Feb 03, 2007 at 18:43
ハロハロ!元気で何よりですね~。
このサイトで黙ちゃんの足取りを追ってると、何だかまるで自分も一緒になって旅に出ている様な錯覚に陥ります。
そんなアタシも再来週また沖縄行ってきますが、そんなの寺岡先生に言わせたら小旅行だね。
あの~よかったら私の店のHPにリンクさせてもらってもいいかな?
梅田ケンジ君のサイトと並べたいんだけど。お手数ですがよかったらお返事下さいませ。
Posted by: ヤスコ | Feb 04, 2007 at 12:13
写真の黙、最初誰だかわからなかった。
いい怪しさ全快!
黙と仲間たちに、幸多かれ!!!!
Posted by: 大樹 | Feb 05, 2007 at 16:20
PON
コメントさんきゅー!
うれしいぜ。
元気?またPONとJAMる日が楽しみだ!
FLYバルカン半島ツアーってどう?
やっちゃん
勿論リンクしちゃって。
沖縄は竹富に行くの?うしおによろしく伝えてね。
連絡したいんだけど、メールアドレス分からないから一度おれにメール送ってもらってよい?
左のバーの"EMAIL ME"っていうのをクリックすると送れるよ。
大樹
元気かい?みんなはどうしてる?
とにかく、みんな順調にいってる事を願ってるよ!
またJAMろう!
Posted by: moku | Feb 06, 2007 at 03:09