2013年秋、初めてマケドニアを訪れました。Arrived to Macedona the first time in autumn, 2013.
マケドニアはまるで『バルカンのへそ』。Macedonia is like navel of the Balkans.
オホリッド湖の対岸にはバルカンの秘境、アルバニアが広がっている。
Albania is just over the Ohrid lake.
マケドニアは戦争せずユーゴスラビアから独立できたので、ボスニアやセルビアのようなヒリヒリした空気感もなく、ホッとします。(ここでも隣人アルバニア人との問題があるけど...)
Macedonia has become an independent country from former Yugoslavia without war. Maybe that's why I felt easy atmosphere there.
首都スコピエ。The capital town Skopje.
スコピエで目についたのは、乱立する銅像の数々。(右の建物の屋上にも...見えるかな?)
Skopje is lovely and cool town for me. But when you arrive there at the first time, you may feel strange feeling with the bunch of statues among the town.
銅像の主はアレキサンダー大王から最近亡くなったポップスターまで、様々なマケドニアの歴史上の有名人たち。They are the Macedonian historical people. Of course from Aleksander the great, to some pop stars.
異様な数の銅像を不思議に思い、人々に聞いてみると「政府が国民にナショナリズムを持たせる為に立てた銅像」だと分かりました。
現在のマケドニア共和国はまだ歴史が浅く、国民に『国家』を意識させるのが大変なんだそうです。バルカンらしいエピソードだ。
人々はうんざりしていたけど政治には必要みたいですね、銅像が。(今の政府はほぼ一党独裁で、誰も逆らえないそうです)
The goverment built them for the nations to have "nationalism". Most of the people dosen't need them, but politics need them...
そんな状況とは裏腹に、訪れて間もなくこの街を好きになりました。出会った人々のおかげです。Whatever soon I fell in love with this town. Because of the people whom I met.
地元の食堂では、会う人みなハグして、キスして、お互いを思いあう温かい空気に溢れていたので、すっかり居心地が良くなったのです。日本では失われつつある(おれ個人の実感ですが)隣人との心のつながりが、ここではちゃんと息づいていました。
旅では観光名所より出会う人々が、訪れた場所に色をつけていくように感じます。
Predrag and Tanya took me to some local restaurant. All the people were friends or family. They were huging kissing, appreciating each other. I felt vibration of "good people". People who you meet may put colors to the places you visit while traveling.
スコピエの街角の落書き、日本語で書かれててビックリ。 I discovered that Macedonia also likes Japan too. Someone wrote "I love Japan" by Japanese on the wall.
1963年、スコピエが大地震で壊滅的な被害を受けたとき、日本の建築家・丹下健三が復興のために尽力した事もあり、マケドニアには親日の人が多かったです。
『旭日旗』が当たり前に描かれてるのを見ると、東アジアでやたら問題視されてる事の方が異常だと気づかされますね。
In 1963, a big earthquake attacked to Skopje. At that time one Japanese architect, Kenzo Tange came to Skopje and helped for recovery of the town. I think this is the one of the reason the people still like Japan.
こちらはボスニアのバス。日本からの贈り物。(セルビアにも走ってました)Bosnian bus.
中世の匂いがするスコピエのオールドバザール。ほんとに落ち着く界隈です。ボスニアもそうだけど、この地域は長い間オスマン・トルコ帝国の支配下にあったので、古い町にはオリエンタルな空気が残っています。
Lovely the old bazzar, Atmosphere like the middle age. I feel comfortable here, also the old town in Sarajevo. I think it because of there was under the Othman empire. So I can feel asian feelings from those old area.
ストリートミュージシャン。奇数拍子の曲が多いマケドニアの音楽には独特の空気感がある。
I love Macedonian music also. It has special elements and feelings.
バルカン最大のロマ(インドから流れてきたジプシー)の集落『シュトカ』。「ここはインドか?」と思うほど、インドと同じ"混沌"の匂いがする。ロマたちが何世紀前にインドを発ったのか知らないけど、民族の性質や空気感は数世代では変わらない事を改めて実感しました。 Lagest roma's area Shutka. I felt same atmosphere with India. Caotic...and I like it.
三たびベキムと再会 Bekim Again
11月、『バルカンヘ』の主人公・ベキムもスコピエにやって来ました。
一ヶ月間広いフラットと食費をあてがわれ、出筆中の小説を仕上げるために作家としてスコピエに招待されていたのです。
「モクも一緒に滞在しよう。映像の仕事場に使ってくれ」
と心良く歓迎を受けたので、再びベキムとの日々が始まりました。
ベキムは小説の出筆、おれは映像制作。
ベキムはおれにとって唯一無二の傑出した存在(良くも悪くも^ ^ )。一緒に過ごすだけで学ぶ事が多く、刺激を受けます。「今日は気が乗らない。おれは書かない」と100%マイペースなところもおれと対照的で惹かれます。
仕事に疲れると、近所の山をハイキングしたり、渓谷でカヤックを漕いだりして、いいペースで仕事ができました。
Bekim, a Bosnian author and the main character of my documentary film, also showed up to Skopje in November. He was invited to artist in residence. He had got one big flat for a month. So we shared his place. I worked for the film. But I never saw he worked, actually^^ Bekim is a free man. I never meet person like him in good way and bad way too. So it's always nice to spend crazy time with him for me.
スコピエ郊外、Matka渓谷でベキムとカヤック。
『バルカンヘ』上映会 Screening in Macedonia.
せっかくベキムとおれが揃っていたので、マケドニアでも『バルカンヘ』の上映会を二カ所で開催しました。We had screening of our film in Macedonia as well.
どちらも盛況でニュースにも取り上げて頂きました。(その時のニュース映像)Thank you for the media people.
上映会のとき、司会者からのインタビューで
「この後セルビアで上映するそうですが、(民族問題を扱った)この作品をセルビアで上映する事は恐くないですか?」と聞かれた。
実際セルビアでは「作品の内容に問題がある」として上映を断られたり、過激なナショナリストたちもいるのでマケドニア人でさえ心配してたけど、そんな事ばかりに目を向けていたら表現活動なんてできないぜ。"No risk, No fun"がおれの座右の銘さ。
ってな訳で「そんなの関係ねぇ!」と大声で答えたら、笑いと拍手を頂きました。
A program host asked to me "Don't you worry to show your film in Serbia?". Because I was going to show my film in Serbia soon. And part of my film is about war of former Yugoslavia and (maybe) veiw from Bosnian side. But I just answered " I don't care!". If you worry about something too much, you will never able to travel or whatever you do. No risk, no fun. That's my life.
一ヶ月以上に渡るマケドニア滞在中の一番の親友、イナと。(写真は"People of Skopje" というプロジェクトの人が通りすがりに撮ったもの) I had stayed in Macedona more than a month. What always made me good feeling was Ina.
出会ったとき、イナは川沿いの野外のカフェバーを切り盛りしていて、おれはよくそこのハンモックで昼寝をしていたので、そのうち一緒に遊ぶようになり、彼女が街のバスガイドをしていた時期にはよくただで乗せてもらい、街の歴史を教えてもらいました。When we met, she was running some outside cafe bar by the river. So sometimes I took nap on their hanmock. That's how we became friend. When she started to work as bus guide, she taught me the histories of the town.
オールドバザールにある親友イナのおじさんのバー『アブサンハウス』からの眺め。 View from Abthente House.
Manu Chao
そいえば、マケドニアに到着した当日、大好きなバンドManu Chaoのライブがありました。最前列でごキゲンなライブを堪能してチケット代たった8ユーロ。(ニューヨークでもそうだったけど、諸外国ではライブや映画、美術展など文化に触れるお金が本当に安い。日本の状況は悲しいほど高額だけど、なんでそうなるんだろう。。。)
When I arrived to Skopje the first day, Manu Chao also came.
ライブ映像。
そして翌日、Manu Chaoと共に新聞に乗っちゃいました。 Then I was on the news papaer with Manu Chao!
またいつか戻りたい場所になりました。ありがとう、マケドニア!
I got a place to come back. Thank you Macedonia for the great days!