去年仕事が沖縄で終わったので、より道しながら戻る小さな旅をした。
竹富島 〜酒井潮〜
まず訪れたのが竹富島。
この島には18の頃からの友人で、濃いィ学生時代も共に過ごし、ライバルでもあったような気さえする酒井潮が住んでいる。。
うしおは20代なかばで竹富に移住した。
それから11年、期が熟してようやく竹富島を訪れることができた。
竹富で会うのは初めてだけど、5年ほど前、一度だけ東京でうしおと再会したことがある。
当時仕事で出入りしていた渋谷の某放送局まで会いにきてくれた。
スーツ姿の人たちも行き交う西口で、おれは長い髪とひげ、ビーチサンダルにタイパンツで登場したのでうしおは喜んでくれたけど、おれはうしおが放つオーラと今までのストーリーに驚嘆した。
話すと長くなるのでカイツマムと、うしおは当時東京に住んでいたのだけど、ある日丹沢の山に登ったあと西へヒッチハイクを始め、たどり着いた鹿児島からフェリーを乗り継ぎ、竹富島にたどりついたという。
当初所持金は500円だったらしく、すぐにビーチで星砂を売るバイトを始めた。
ある日、砂浜に落ちている木の実を拾い上げ、うしおはその美しさに気付いた。すぐに島の木の実でネックレスなどのアクセサリーを作り始め、今では南潮庵という店も持ち、繁盛している。
しかも写真で見たうしおの家は「ちゅらさん」のような低い石垣で赤い屋根瓦の民家。しかも庭にはバナナの木。
夢のような世界だった。
なによりうしおの放つオーラはエネルギーの固まりというか“元気”を発散しいて、渋谷の雑踏を歩いていても目を引くほどだった。
学生時代はアトピーもひどかったけど、すっかり完治していた。
再会
竹富島に着くと、うっしーは潮風ですっかり痛んだ車で迎えにきてくれた。
5年ぶりのうしおは相変わらず元気でイケイケだった。
写真で見てたうしおの家は、質素でほんとに素敵だった。
昔ながらの縁側のある家。中も庭もきれいにしてあった。
潮の店、南潮庵は隣にある。もともと蔵だった建物をセンスのいい店にしているのだ。
中庭にテーブルを出していて、そこでマッタリとお茶をしてると、どこか別の宇宙にいるような気分になる。そんなパワーを持っている場所だった。
うしおは毎日9時から4時頃まで仕事して、そのあとは海に潜って魚を突いたりしている。
「生活にリズムをつけると仕事もはかどるぜ」とうしお。
不規則になりがちな映像の仕事をしてるけど、大切な事だなと思った。
結局、5日ほどうしおの家でのんびりした。
小さい島だけど誰も来ないビーチがあってオレはそこで素っ裸でYOGAなどして過ごした。
夜は毎晩、美味しい石垣牛でバーベキュー!
うしおの可愛らしい弟子、カズも一緒に何はなくともゆったりといい時間が過ごせた。
全てを捨てたからこそ捕まえた今。おれとうしおはそこが共通していた。
その後、沖縄本島では北部のヤンバルで出会った人たちのつながりで、満月祭りという祭りに参加した。彼らの場所に現在米軍のヘリパッドが建設されようとしていて、その反対運動をしている人たちの祭りだった。
おれは祭りの片付けも手伝い、スタッフたちと仲良くなったので色々話しをきく事ができた。
八重山とは違う米軍との共存の問題などを抱える沖縄の一面を見た。
それから、熊本では阿蘇の近くのお茶農園にお邪魔しガーデニングを手伝いながら3日ほど滞在した。九州のいい感じで暮らしている若者たちに出会い、さらに農園の家族と宮崎のカフェジール というゴキゲンなカフェでの音楽のイベントに参加した。
そこでもカフェの兄さんが旅人のおれを快く泊めてくれ、今後九州を旅するのが楽しみになってきた。
岐阜ではCaravan という旅人のミュージシャンと出会った。
ライブでもそうだったけど、その後打ち上げで色々話しをして、旅に対する思いや彼の人柄の大らかさに嬉しくなった。
名古屋、京都ではこないだまで一緒に仕事していたJun Sky Walker(S)の宮田くんのバンド、ジェット機のツアーに合流し、ライブの撮影をした。
んな感じで3週間ほどほっくりと日本を旅することができました。