バルカン半島の旅 第七話 「灼熱のモスタル」
6月25日(日)
ブナ川はモスタルの中心地から車で15分ほど走ったところに流れています。おれたちはモスタル滞在中のほとんど毎日、日中はこの川で泳いだり木陰に座って過ごしていました。
とにかく暑い!こんなに暑くちゃ何もできないってほどモスタルは暑かったので、午後はこの川で“シエスタ”。
シエスタとは地中海地方の人たちの風習で、午後はたっぷり休憩時間をとって夕方から仕事を再開する事。午後の時間は暑くて仕事にならないのだ。
ブナ川は澄み切った清流。水はすごく冷たい。数キロ上流にすぐ水源があるからです。
この辺りは日本のような森はなく、どこか砂漠の中のオアシスのようなのに、はげ山のふもとからいきなり滝のように水が吹き出しているのです。
バルカンのそれぞれの地域にそれぞれの魅力があるけど、ヘルツェゴビナの風景はまったく異国なのにどこか懐かしい。
Should we stay or should we go?
「おれたちは今日中にモスタルを出発してサラエボに入ろうと思ってるんだ」
モスタル三日目の朝、ベキムとペーターがそう言ってきた。
二人はペントハウスの外でテントを張って寝ていたので夜のうちにそういう話になったみたいだった。
— またか
スプリットに続き、二人はまたそそくさと町を立ち去ろうとしていた。
「そんなに急いでちゃじっくり撮影もできやしないよ!」
とさすがにおれは反論した。
「よし、じゃあおれたちのこの意見の食い違いそのものを撮影しよう」
と提案した。こういう事態も旅そのものだと思ったからです。
3人で川原に座り、カメラを設置してそれぞれの意見を話し合った。
「昨日一日、初日の夜に出会った連中と誰とも連絡がつかなかったからさ。分かるだろ?
最初はみんな愛想がいいものさ、でもそれは最初だけだったんだ」とベキム。
「早く※ボートの旅を始めたいからさ」とペーター。
※ ボスニアの北部からはボートに乗り換えて旅する予定なのです。
「ここもこんなに早々と立ち去ってしまったら、ドキュメンタリーとして何も映像で捉えきる事ができないまま終わってしまうよ。それにこれじゃまるで観光客のようじゃないか。初日の夜にごきげんな連中に出会ったことや、寝る場所をゲットできたことは絶対にいいサインだ。もう少しここに留まるべきだ」とおれはと訴えた。
撮影の直後、初日の夜に出会ったミルザとばったり再会した。
「シエスタに最高の楽園があるんだ」というミルザの言葉に飛びつき、結局おれたちはミルザと共にサラエボではなく、その “楽園”に直行した。
そこは滝に囲まれた楽園だった。クラベツァ!灼熱のモスタルにあってここはひんやり涼しい!
おれは「一週間でもここにいていい」と思った。ベキムもペーターも満足そうに泳いでいた。
これでもう少しここに留まる事が決まった。
出発のサイン
おれたちが滞在していたミリのビルはこの町のアーティストたちのための場所だったので、おれたちの滞在中も写真の展覧会が開かれたりライブイベントが行われていた。
中庭では毎晩面白い連中が集まってビールを飲んでいた。
「おれはアートを通してこの分断された町をひとつにしたいのさ」
とミリはインタビューの時に言った。
「分断」は、この町で起こった90年代の戦争の時から始まっている。
モスタルでは中心を流れる川を挟んでクロアチア側とムスリム側に分かれて激しい戦闘が行われていた。戦争が終わった今でも彼らは分かれて住んでいて、まだ人々の心の中には大きな壁があるのだ。
「そんなに簡単に戦争の事を忘れる事はできないさ」
とボスニアの旅の中で何人かの人たちは言った。
ミリはここで両方の側の人たちを受け入れて、一緒に表現活動する場所を提供しているのだ。
その他にも初日の夜に出会った若者たちにインタビューした。みんな20代中盤の世代だったので、戦争が激しかった子供の頃はベキムのようにノルウェーやドイツに逃れてたものが多かった。
—なぜ戻ってきたの?
「そりゃここがおれの町だからさ」
とモスタルの橋の近くでバーを開いてるサミュエル (25才 ムスリム) は答えた。
「ひとつの世界、同じ人間、それだけさ。この分断された状況はばかげてる。でもまた同じような戦争が起こったら、おれはもう逃げない。今度はここに留まるだろう」
ある夜、ミリの中庭でVUNENYというバンドでヨーロッパを飛び回ってるミュージシャン、ナディムと出会った。
翌日かれは取材のためサラエボに行かなきゃならなかったから、「お前たちの車で一緒に乗せてってくれないか」と尋ねてきた。
—これが出発のサインだ
とおれたちは感じた。
ここで出会った連中と一緒に過ごした時間を通して、この町と何かがつながったような気がしていたからだ。
—今度この町に戻ってきた時には 受け入れてくれる連中がいる。
翌日の夕方、おれたちはナディムと共にサラエボに向けて出発した。
「お前が正しかったよ」
とベキムは出発を延ばした事を賛成してくれた。
Balkans Travel Chapter 6. "Burning MOSTAR"
25th June. River Buna flows 15 minutes by car from Mostar.
We used to hang out there for chilling almost every afternoon.
Because it was so hot everyday in Mostar. We couldn't to do anything.
So just had "siesta" during the day.
The water of Buna is quite cold. Because the river rise just 2,3Km up from our place, even though there are not so many trees around Mostar. There seems like a oasis in the desert. The land scape of Herzegovina is so attractive!
Should we stay or should we go?
"We are thinking to move to Sarajevo today"
Bekim and Petter told me at the 3rd day's morning.
Again! " If you always rush like this, i can't shoot any documentary! "
I refuted.
" OK. We must shoot about this subject "
I thought those problem also taste of travel, So it's nice to shoot for our documentary.
We sat down by the river and had discussion about difference of our opinion in front of the camera.
" Because i couldn't have contact with the people who we met 1st night. You know,
everybody nice to us at the beginning. But it was just only for beginning " Bekim said.
" Because I have appointment with Norwegian friends in July. And i want to start boat trip" Petter said.
" If we rush so much like this, i can't shoot any documentary. It's like a just tourist. And it was good sign to meet nice people and to get place to sleep at 1st night. We should stay more longer" I said.
Right after the shooting, we met one friend Milza. He introduced one good place for Siesta.
So we headed to this place instead of Sarajevo.
It was paradise! Surrounding by the water falls, atmosphere is so cool!
" Oh i can stay here even more than a week! "
We swam in the lake. Bekim and Petter seemed very happy.
That's how i could stay here more longer.
Sign to leave Mili's place where he let us stay is actually place for artists. So every evening, interesting people hang out to here and had some beer in the garden.
" I want to join again this divided town through the arts "
Mili said on my interview.
" Divided " has started since the war in 90's. During the war, they had a big battle by the river between Croatian and Muslim people in Mostar. Still they have pain in their hearts. Still they have big wall in their hearts.
So Mili wants to join them again by the arts.
I had interviews to another people as well. All of them are around 25 years old.
Many of them had escaped to another country during the war like Bekim.
" Why did you choose to come back here? "
" Because here is my town " One young guy answered.
" There are only one people and one world. i want to live in peace. But if the war happen again, i will choose to stay here. I wll never escape again "
One night, we met one musician Nadim. He plays in the band is called VUNENY. He had to go to Sarajevo next day for interview.
" Bring me to Sarajevo with you " he asked us.
It was a good sign for us to leave Mostar. We felt it. Because all of us satisfied about Mostar. We knew we got place where we can come back someday. They will welcome us.
Next evening, we left Mostar with Nadim. Headed to Sarajevo.
" You were right "
Eventually Bekim agreed with my opinion to stay longer at each places.
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