7月12日〜 バルカン半島の旅 No12. 「SAVSKA BUBA」
ムーミンとハスヤ
ボスニア北部の町ブルチコに滞在中は、山の中からほぼ毎日車で町に出かけ、まずはベキムを育てあげたおじいさんたちのアパートでたらふく食ってから撮影やらボートの旅の手続きをしていました。まるで夏休みの子供たちみたいです。
初めておじいさんたちを訪れたとき、ベキムは彼らとの再会を喜び合ってたけど、10分後にはもうおばあさんと喧嘩を始めていた。
きっとベキムが小さな頃から馴染みの光景なんだろうな。
ベキムのおじいさん、ムーミンは温厚な人。昔は靴のセールスマンとしてユーゴスラビア中を旅していたそうだ。
その靴を作っていた工場は、今は破壊され廃屋になってブルチコの外れにひっそりと建っています。
ハスヤは豪快な肝っ玉ばあさん。おれたちに料理を食わせるのがとても嬉しかったみたいで、彼女は毎日大量の料理をおれたちに作ってくれた。
「若いうちに色んな女性と付き合いなさい。一人の女性のところに長く留まっちゃだめだよ」
とハスヤ。何てアドバイスだ、さすがバルカンのばあさん!
ワイルドなベキムも彼らの前ではやっぱり子供に見える。
おれはボスニア語はスラングしか知らないので、おじいさんたちに会っても「こんにちは、元気ですか?」とは言えず、毎日 「ヘイ!調子はどうだい?」としか言えなかったのだけど、二人ともそれを喜んでくれた。
「ハスヤは字が読めないし、ノルウェーや日本がどこにあるのかさえも知らない。彼女にはこの町が全ての世界なんだ」
とベキム。
確かに1900年代前半のこの辺りの識字率はとても低かったとバルカンの歴史の本に書いてあった。
とにかくハスヤもムーミンも生粋のブルチコっ子だ。
撮影の方は、ムーミンとハスヤにインタビューした他、ベキムの幼なじみのベドにも会って、インタビューや二人の会話を撮影しました。
ベドのほか、もう一人彼らの幼なじみがいたらしいのだが、彼はセルビア人で、戦争が始まる前に「お互い戦うのはよそう」と誓い合ったらしいが、結局その友人はセルビア兵として戦争に参加し、戦死したという。
ベキムが彼の墓参りにいったところなども撮影しました。
※サラエボでは元スタジアムだった場所が、今は丸ごと墓地になっています。
もちろん90年代に戦死した人たちの墓地。
墓地を歩いてみると戦死者の多くがおれやベキムと同年代の人たちでした。
生きていれば30代半ばのはずの人たち。
90年代、おれが日本で学生やってたり、バンドマンだったり、配管工をしているあいだに
バルカン半島では同世代の連中がこんなに多く戦死していたのだ。
SAVSKA BUBA (サブスカ・ブバ)
おれたちが乗る予定のボートは4月にベキムとペーターが共同で買って、ベキムのおじいさんの家の庭に置かれていました。この家は戦争の時に破壊され、今でも廃墟のままです。おじいさんたちは今は小さなアパートに住んでいます。
ペーターはこの時初めて自分のボートに対面したんだけど、その時のペーターの様子ときたら、口をあんぐり開けて立ち尽くしていた。
それほどごきげんなボートだったのだ!
大きさは6メートルくらい。船室には3人寝れるスペースがあって、甲板も十分に広く(のちの船旅でおれは甲板の上でヨガをしてました)、屋根付きのベンチスペースまである!
ペーターはこの旅の為にノルウェーで船舶の免許まで取っていたので、待ちかねていたのだ。
ベキムは4月にブルチコに訪れた時にこのボートが売りに出されているのを偶然見かけ、直感で買ったという。
船旅はセルビア、ルーマニア、ブルガリアを抜けて黒海まで行こうという予定だったので、ボートを泣く泣く手放したおじさんも、
「君たちならこの船も喜ぶだろう」と言ってくれた。
おれたちはボートをSAVSKA BUBA ( サバ川のブバ )と名付けた。
これまで一緒に旅してきた車、ワーゲンのブバ (この地域の言葉でビートルの意味) に愛着があったので、ブバから名前をとりました。
職人さんに頼んでSAVSKA BUBAのロゴを船に描いてもらい、船旅が始まりつつあるのを実感してきます。
サバ川
ブルチコを流れるサバ川はとてもシャンティ(おだやか)。
川幅はブルチコ辺りでは150mくらいかな? 対岸はクロアチアです。
幼少の頃をここで過ごしたベキムにとって、この風景はきっとこの原風景のひとつのはず。
詩的に映像で捉えようとしたけど・・・
ブルチコに滞在して数日後、船旅の手続きがやっとクリヤーできたので ( 国境を越えたりするのでちょっとめんどくさかった)、職人さんたちに頼んでボートをサバ川に下ろしました。
いよいよSAVSKA BUBAの初運転。
快調な走り、気持ちいい風!
川の上を自由に動ける気持ちよさ!
— これからこいつで旅をするのかぁ!
と思うとわくわくしてくるぜ。
ブルチコにはまだしばらく滞在したけど、おれたちは毎日1時間ほど船を出して、サバ川で泳いでシエスタしていました。
Mumin and Hasja
Almost everyday, we drove to Brcko town and ate his ground mother's lunch at their apartment.
When we visited them at the first time, they were hugging each other to see them again.
But 10 minutes later, Bekim and his ground mother started to fight. Maybe it has happened for many times in their life.
His ground father Mumin is gently man. He used to travel all around Yugoslavia as a shoes sales man.
And ground mother Hasja is wild lady. She cooked lot of foods for us everyday and seemed very happy for serving the foods to us.
In front of them, Bekim still seemed a kid.
I had interview with Mumin and Hasja. And we met Bekim's old friend Vedo.
I shot their conversation and interview.
SAVASKA BUBA
Bekim and Petter bought the boat together last april. And it had been in the garden of Mumin's old house that was destroyed.
When Petter saw his boat the first time, he just stood and opened his mouth.
It was so cool boat. Big like 6M. In the cabin, there is enough space to sleep three of us.
Petter has taken a license for boat in Norway for this boat trip.
He was so exciting to drive this boat and that's why he always had rushed to leave each town.
We put the name to this boat.
" SAVASKA BUBA "
It means BUBA of river SAVA. We like our car BUBA so much. So we took her name to the boat.
Woo the boat trip is gonna start soon!
Few days later, we moved SAVASKA BUBA to the river and had a test drive.
Our boat runs very nice and comfortable!
Still we were gonna stay in Brcko for while. But everyday we drove her and swam to get chill.
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