Dec 13, 2021 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink
昨日、2020年5月21日、『バルカンへ』の主人公、ベキムが旅立った。
48歳、、、
その朝、体調悪くて病院へ行ったら、そこで容態が急変し、心臓が止まったという、、、
信じられない・・・
つい先月もメールでやり取りしたばかりなのに、、、
まるで自分の半分を失ったみたいだ。何も手が付かない・・・
二人で一つの旅に全ての情熱を捧げた、かけがえのない兄弟。
永遠の少年、ボスニアの偉大な魂。
バルカンも途方にくれている・・・
世界が一つ退屈になった、、、
安らかに眠ってくれ、べキム、ありがとう・・・
またいつか別のステージで一緒に旅しような。
Bekim has passed away yesterday...
Saddest news I ever had... I still can't believe it....
Just feel like lost half of myself... just emptiness....
We put all our passion and everything on to one travel together.
Just like my real brother...
My beautiful spirit, you were so honest and had big love...
I can hear the Balkan is crying.
The world gets boring...
You had a hard life but 100% you lived yourself...
I hope finally you found peaceful place.
Have a rest, Beks...
Someday, we will travel again on another stage !
映画『バルカンへ ~From Tokyo to the Morava river~』
4年前に映画祭でベキムと共にインタビューを受けた時の様子。 Interview with Bekim atthe film festival.
May 22, 2020 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink | Comments (0)
三ヶ月過ごしてきたHvar島ともお別れの時が来ました。
滞在中、Belly Dance関係の作品を二本作り、上映会の準備などで忙しく時間が過ぎたけど、このすばらしいの環境のおかげで "ゆったり" 忙しく過ごせました。
6年前、初めてここに訪れた時は12月〜8月までの9ヶ月間(当時は映画『バルカンへ』の編集と、この島の撮影も行っていました)、今回は9月〜12月。
人生の中の丸一年間をこの島で過ごしてきたので、第二の故郷のような気さえします。
最後の数日は、島の友人たちとジャムセッションNightしたりして、お別れパーティー的な集まりを開催してもらいました。
そして快く家を貸してくれたタクジロウ、ありがとう!
彼は今バリ島のウブドの田んぼの真ん中でカフェをやっているので、バリへ行く機会がある方は是非遊びに行ってみて下さい!
ザグレブへ
12月3日上映会当日、ザグレブへ向けて出発。
内陸部に入ると雪が積もっていました。
今まで滞在してた地域が 『ヨーロッパの避寒地』 と呼ばれるのがよく分かります。
そして、この地域でたまに見かけるのが"地雷注意"の立看板。
90年代の紛争の時のものです。
バルカンでの上映会に向かう道っぽいじゃないか!
劇場 "Kino Europa"
今回の会場 "Kino Europa"は、首都ザグレブの中心地にある古くて素敵な劇場でした。
想像以上に大きな劇場だったので、到着したとき一瞬呆然と立ち尽くしました。
ー最高だぜー
上映会もいいけどライブもしたくなる場所。
こんな劇場で作品を上映させてもらえて、本当に光栄です。
映写室にはなんと45mmフィルムの映写機が設置されていました。
粋だねぇ〜
「今日は何時から映画始まるんだい?」
ロビーに座っていたウィリアム・バロウズのようなお爺さんが聞いてきたので、
「5時半だよ。おれが作った映画を上映するから是非観に来てね!」
と伝えたら笑ってうなずいてくれ、お客さんを少なくとも一人確保しました(^^)
「モク!」
しばらくすると、主人公のベキムがスロベニアから到着。
5年の歳月の末、ついに果たせたベキムとの再会。
おれたちは抱き合って再会を喜び合い、そして‥
「ラキア※(50度バルカンのブランデー)飲むか!」
とすぐに劇場内のバーへ移り、開演前のスピーチが始まるまでさっそく飲む事に‥ ベキムの破天荒ぶりも健在で、嬉しくなりました(^^)
全ては冗談から始まった‥
彼から届いた誘いのメールに「参加するぜ」と即答し、仕事もアパートも引き払い、おれはベキムとの旅に飛び込みました。詳しくはこちらを見て下さい。
初めて出会ったとき、ベキムは
「よく 見ず知らずのオレを信じてここまで来てくれたね。おれがお前だったら怖くて来なかっただろう」
と言ったくらいだから、このプロジェクトは本当にベキムの冗談から始まったのです。
その冗談に本気で乗っかり、撮影・編集してきました。
一度はハードディスクが壊れて、また最初から編集をやり直すという困難もあったけど、何とかこの日を迎える事ができました。スピーチ
スピーチはおれがトイレで用を足してる間に始まっていて、遅れて劇場内に入ると、壇上にいたベキムに
「今、やっと監督のモクがトイレから戻ってきたぜ」
といきなり間抜けな紹介をされ、笑いと拍手で迎えてもらいました。
「おれは、フリーランスの... 旅人です」
場内が温かい空気だったので冗談を交えながら話しました。
平日の5時30分スタートにも関わらず、60名ほど集まってくれました。
「作品を編集してるうちに、『一体誰がおれたちの個人的な旅の記録を見て喜ぶんだろう?』 と疑心暗鬼になった時期もあったけど、全てのラブソングは個人的な体験を表現して、多くの人々の心に響く。だからこの作品も皆さんの心に何か届くかもしれないので、楽しみにして下さい」
打ち上げ
6年前に出会ったイカしたバンドVuneny のギタリスト・ナディムが打ち上げをセッティングしてくれ、ライブBarで楽しく過ごしました。
「来年ドブロブニクで映画祭を企画してるんだけど、是非『バルカンヘ』を上映したい」
とキュレーターのおばさんから申し出があったり、なぜか哲学の教授から講義の依頼もあり、楽しい夜になりました。
次の上映会は7日、港町リエカです。
その後はネパール・インド方面の旅を計画していたのですが、二月から受けていた自然番組の仕事が前倒しになったので、すぐ帰国し、迫っているロケまでに打ち合わせ、機材の調達、構成もしっかり練り込まなければならないので、怒濤の生活が待っています。
Screening @ Kino Europa, Zagreb
Kino Europa was incledible! One of the best theater in my life. Old and lovely.
I was very happy to show my film there.
"Moku!"
Finally Bekim(the main character of the film) showed up.
We huged. Then...
"Let's drink!"
We start to drink at the bar of the theater.
"Everything started from jake..."
Bekim wrote this for the poster.
That's true.
This film happen by accidentually. We met throgh the internet by accident.
I wanted to make film of travelling. Bekim wanted to travel his homeland the Balkans to serch something what he has lost since he moved to Norway in 1993 as a refugee and filmed this trip.
That's how we met and this film came.
Around 60 people came to watch the film. Sometimes people laughed and had some reactions.
And I was very happy to watch our film together with Bekim at the wonderful theater.
Thank you for all the people who support us to have this screening. I appriciate a lot!
Dec 05, 2012 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅, Travel 2012 | Permalink
Tags: balkan, cinema, croatia, film, kino europa
バルカン半島を一緒に旅した仲間、ペーターが遥々ノルウェーから日本へやってきた!
ペーターは映画『バルカンへ』のメインメンバーの一人。
五年の歳月を経て、ついに再会を果たしました。
出会ったころは25才だった彼も、いつの間にか30才になっていました。
バルカン半島で怒濤の旅をした仲間と日本に一緒にいるのは、なんか不思議さな感じですが、ペーターはよく日本にも馴染んでいました。
ペーターは日本に三週間滞在しました。おれとは3度ほど会いました。東北にも出かけ、強烈な印象を受けてたようです。
うれしい再会はあっという間に過ぎ去り、ペーターはノルウェーに戻りました。
ボスニアのサバ川の川下りの最中。船の上でペーターの散髪をするおれ。(2006)
Jan 18, 2012 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink
「ばあちゃんが危ない。帰ってこれんか」
1年前、旅先のクロアチアHvar島にいたときに一通のメールが届いた。
兄からのこのメールが、旅を中断し、帰国する決心をさせた。
少し前から"早枝(さえ)" ばあちゃんが体調を崩してた事は知ってたけれど、そんなに悪化してたとは知らなかった‥
大急ぎで格安のチケットを探した。ウィーンまでバスで行き、そこからドバイ経由で日本に飛ぶことになった。
「"Moku" のプレートは、あなたが再び戻ってくるまで外さないでおくわ」
5月以降、おれを滞在させてくれたアニーは、作業部屋の入り口に置いてた表札を外さず、別れを惜しんでくれた。
※ 荷物の半分はまだアニーの家の物置に置きっぱなしなので、いつか取りに行く予定です。
2006年の12月以来9ヶ月間滞在したこの島を、ついに去る時がきた。
最後に隣人のジュンコたちと青く輝くアドリア海に素っ裸で飛び込んでから、フェリーに乗った。
第二の故郷のようなHvar島とのお別れ
帰路
フェリーの中におれと同じビデオカメラを持ってる男がいたので話しかけてみた。ルーカスというギリシャ人のディレクターだった。彼はおれと同じくバルカン半島のドキュメンタリーを撮っていた。
おれたちはすぐに意気投合し、船のレストランで彼の作品のためにインタビューに応じた。
日本人から見てバルカン半島はどう映ったか?という質問だった。
複雑な歴史の問題を乗り越え、自分たちの国の未来を作り上げていこうとするボスニアの若者たちと出会ったことや、行く先々の町で楽器を持ってジャムセッションするだけで友人ができ、彼らが自分たちの部屋に泊めてくれたので、そういうバルカン人のオープンな気質などについて話した。
ルーカスとは、お互いの作品ができたら見せ合う約束になっている(彼の作品はギリシャの国営放送で放送する予定だそうです)。
一晩かけてバスでウィーンに着くと、飛行機の時間までレインボーギャザリングで出会った友人、アレキサンダーのアパートで一休みできたので、まるで世界中に仲間がいるような気分で嬉しくなった。
生粋のウィーンっ子、アレキサンダーの部屋で一服。彼は映像クリエーターで、イベントなどで会場を光で演出するアーティストでもある。
Hvar島から36時間かけて日本に戻るなり、ばあちゃんのいる広島の伯母のところまで更に数時間かけて直行した。
長い帰国の旅の末、やっと早枝の元にたどり着けた。
小さいころ両親が共働きだったので、おれは祖父母と過ごす時間が多かった。ばあちゃんはいつも屈託無く笑い、周りを明るく照らす優しい太陽のような人だった。
戦争中、日本中が極貧で大変な時期に、ばあちゃんの家だけは常に笑い声が絶えず、「あの家には何がそんなに可笑しいことがあるのだろう?」と周りの人たちが不思議がったエピソードがあるほど、早枝の明るさは"本物"だった。
軍人のじいちゃんが2.26事件に加担しようとしたのを、ばあちゃんが泣いて止めたというエピソードもある。左上段がおれの母親。
2006年、バルカン半島へ旅に出る直前、ばあちゃんを訪ねた。
それまでの4年間、東京でバタバタ仕事していて、忙しさにかまけて一度もばあちゃんどころか実家にも戻っていなかったから、旅に出る前に一度訪ねなきゃと思ったのだ。
「これで会うのは最後になるかも知れない」ばあちゃんは涙ぐんだ。
「何言ってんだよ!」
その時ばあちゃんは96才だったにも関わらず、インタビューを頼んだら1時間以上も波乱の人生を語るほど元気だったから、まだまだ時間はあると思っていた。
最後に、早枝と強く抱き合って旅に出た。
それから1年と3ヶ月の月日が過ぎた。
最期の再会
「もう目も開かないのよ」と伯母さん。
寝室には、点滴のチューブにつながれ、寝たきりになって、すっかり変わり果てた姿の早枝がいた。
おれは枕元にいき、大声で叫んだ。
「ばあちゃん!おれだよ!会いに帰ってきたよ!」
その時、寝たきりで開かないはずのばあちゃんの目が、開いた。
そして涙が一筋こぼれ落ちた。
焦点の定まらないその目は、何かを探してるようだった。
それから目を閉じ、再び眠ったように静かになった。
その一瞬の出来事は、まるで夢でも見てたかのようだった。
「・・信じられない」
ずっと看病してきた伯母はその様子を見て、ただ驚いていた。
それから旅の疲れを癒す間もなく、ずっと冷たくむくんだ早枝の手足をさすってたけど、翌日、早枝は静かに息を引きとった。
ばあちゃんは最期まで頑張って、おれが帰ってくるのを待っていてくれたんだ。
冷静にしなきゃ、と思っていたのに涙が止まらなかった。母や伯母たちの方がよっぽど気丈だった。
メッセージ
おれがバルカン半島への旅に出た直後、早枝は遺書を書いてた。
「皆様ありがとう!
財産も何もない私が遺書など書く必要はないのですが只皆様にお礼が一言言いたくて一筆したた
96才まで何とか自分のことは一人で出来ましたが明日のことは分
この長い年月を皆様に愛されて生きてきたことは最高の幸せでした。
何もお礼が出来ませんが只一つ何年も毎日朝晩皆様の一人ひとりの
皆さん健康で生きてください。
天国で見守っておりますよ。2006・6・13(火)
幸せな一生でした ありがとう!」
自分の旅を終わらせてでも、早枝の長い旅の終わりを見届けることが出来てよかった。最後まで大切なものを教えてもらった。
ばあちゃん、重い荷物を降ろして、ゆっくり休んでね。
Sep 17, 2008 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink | Comments (19)
Tags: travel, 旅
バルカン半島の旅 No21 (最終回). 「帰路」
オスロにて
8月末の夜遅く、おれたちはオスロのアパートにたどり着いた。
約3ヶ月ぶりのオスロ。
ノルウェー人のペーターは久しぶりの故郷に戻って幸せそうだった。
ボスニア人のベキムは今までになく深く故郷のバルカン半島を旅したので、”生活の場” オスロに戻ってきて寂しそうだった。
「もう以前のおれには戻れないさ。今のバルカンを生きている連中と深くつながれたし、この旅はおれを強くしてくれたんだ」
疲れた口調のベキム。
「結局黒海にはたどり着けなかったけど、そんな事はどうでもよくなったんだ。過程そのものが重要だったんだ」
とペーター。
先へ先へと急いでばかりいた頃と比べてなんて変わりようだろう。
こうして、ベキムとペーターは「生活」に舞い戻った。
そしておれも彼らへの最後のインタビューを終え、カメラを置いて泥のように眠った。
帰路
8月6日。スメデレボから更にドナウ川を下ると小さな島が見えてきた。
「‥あの島で引き返そう」
とベキム。
そこがおれたちの旅の折り返し地点となった。
少し前からベキムは「黒海はあきらめよう」と言ってきていたのだ。
学生のペーターは大学の新学期が始まるから仕方ない。
そして、最初はこの旅を続けるために仕事を辞めると言っていたベキムも、最終的に仕事を選んだ。
そりゃそうだ。仕事を捨ててしまったら その後の生活に支障が出るのだから。
おれは引き返す事に同意して、最終目標だった黒海到達をあきらめる事にした。
最初の予定どおり進めばきっとたどり着けたのだろうけど、おれたちはあまりに寄り道しすぎたのだ。
おれたちはドナウ川を上りはじめ、帰路についた。
ベオグラード、シャバツ、ミトロビツァ、ブチコ、サラエボ、そしてリエカ。
おれたちは今まで寄った街を再び訪ねながら3週間かけて帰路についた。
戻る先々でみんなに旅のエピソードをせがまれながらオスロに戻ってきた。
エピローグ
ベキムのアイデンティティ探し。
黒海まで船で横断すること。
結局おれたちはこの旅の二つの目標を両方とも達成できなかった。
「アイデンティティ」って何なのか、結局おれもベキムも分からず仕舞いだった。
おれたちは、それを探求するには怠け者過ぎたのかも知れない。
とにかく、2006年の夏はおれたち3人にとって「何か」だった。
今おれはこの旅の映像の編集を通して、その「何か」を掘り起こそうとしている。
そして、ベキムはオスロでの仕事を最終的に辞めておれと”何か”を始めることを選んだ。
あの「バルカン半島の旅」は ”何か” のスタート地点になった。
つらつら長ったらしく続いた「バルカン半島の旅」は、とりあえずこれで終わります。
さんきゅー。いえい。
Balkans Travel Chapter 21. "Returning"
Returning
On 6th August.
One small island appeared in the Danube.
"Let's make turn at that island, huh?"
Bekim said.
Then we took the way to go back.
Since few days before, Bekim was suggesting to give up to reach to the Black sea.
No choice. Petter should go back to the university in Oslo.
And Bekim also choose to go back to Oslo. Even though he was thinking to quit his job for this travel.
I understood. It's important to keep your job whatever.
So I agreed to go back and to give up to reach the Black Sea.
We took the way to return to Oslo.
The end of August, We reached to their apartment in Oslo again.
A Norwegian boy Petter seemed happy to come back to his home country.
A Bosnian guy Bekim seemed sad to left his home land the Balkans.
"This travel changed me forever. It made me stronger than before"
Bekim said.
"Eventually, we couldn't reach to the Black Sea. But getting the goal is not point for our travel. The process itself was important"
Petter said.
How he has been changed! At the beginning, he was always rushed to move to next destinations.
Somehow, they came back to their "Daily life"
I shot the final interview to them. And I fell in sleep like a baby.
Epilogue
That's how, eventually we couldn't get two of our object.
one was to get the Black Sea.
another one was to find out Bekim's identity.
We were too lazy to get them.
But, somehow that summer in 2006 was " Something" for three of us.
Now, eventually Bekim quit his job in Oslo.
And choose to do something with me.
That's how That travel becames the beginning of our friendship.
Thank you for following this travel so far.
Coming Soon!
We're gonna start to travel again!
From 28th Apr, We travel Macedonia and Albania.
Most chaotic countries in the Balkans.
Somehow we're gonna try to catch one gypsy festival.
Then.. we don't know as usual.
Apr 25, 2007 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink | Comments (10)
バルカン半島の旅 No20. 「最後の街 —スメデレボ—」
船旅慕情
そして時には小さな喧嘩をする。 次第に1kmが10kmになり 10kmが100kmになり 100kmが1000kmになってゆく。
ジャングル、村々、釣り人、工場、大都市‥ 「船旅劇場」では色んな舞台や出演者たちが現れては消えてゆく。
小さな船がおれたちをどこかへ運んでくれる。
その何畳かのスペースがおれたちの城。
飯を作る、 喰う、 飲む、 昼寝する、洗濯をする、 YOGAをする、 散髪をする、 歌う。
暑くなったらエンジンを止めて川に飛び込む。
川に浮かぶ島で野宿をする。
車で走ればアッという間の距離を、ゆっくり進む船旅。
世界はだんだん広くなってゆく。
時には鏡のように穏やかで、時にはけたたましく荒ぶれる、その川だけがおれたちの旅の全てを見つめていた。
最後の街 —スメデレボ—
ベオグラードからドナウ川を5, 60kmほど下ると、右の岸に大きな城塞跡が見えてきた。
城壁の上には大きなコウノトリが2羽、巣を作っていた。 500年前に激しい戦があったこの城塞は、今では若者たちの遊び場になっていた。
この城塞は、中世セルビア王国がオスマン帝国に最後まで抵抗したスメデレボの城塞。
1459年にこの城塞が陥落してセルビア王国は滅び、長いオスマン時代が始まった。
って、んな事は旅が終わったあとに本で読んで知ったのだけど、この時はそんな事は一切知らずにおれたちはこの城塞の脇に船を停めた。
この町で最後の仲間、ナディムが合流した。
ナディムはボスニア南部・ヘルツェゴビナからノルウェー難民移住したベキムたちの古い友人。おれが6月に日本からオスロに到着した当日に一緒にパーティーをした仲間だった。
日が暮れてボートの中でまったりしていると、ドコドコと激しい音楽が聞こえてきた。
城塞の中でトランス・パーティーが行われていたのだ。
おれとナディムは城塞の中に入ってパーティーに参加した。
パーティーは朝まで続いた。
ベキムとペーターはこのトランスパーティーを楽しみにしていたのに、結局二人ともボートの中で一晩中眠っていた。
長い旅でさすがに二人とも疲れが溜まっていたのだ。
翌日、おれたちはスメデレボを出発してさらに川を下りはじめた。
でも結局この街がこの旅での最後の街となった。
いよいよ次回は「バルカン半島の旅」最終回!
って、去年の夏の話を書くのにいつまでかかってんだ!って話だけど‥
Balkans Travel Chapter 20. "The last destination / Smederevo"
For River travel
The small boat brings us to somewhere else.
This tiny space becomes our own castle.
Cooking, Eating, Drinking, Napping, Washing, Cutting hair, Singing...
And sometime having small fights.
When it gets hot, just jump into the river for chilling.
Sleeping on the islands in the river.
Keep on going slow and easy. Never be rushed.
Gradually, 1km becomes 10km, 10km becomes 100km, 100km becomes 1000km.
The world expands little by little.
Jungles, Villages, Fishermen, Factories, Big city...
They come, and they go.
Sometimes calm like a mirror, sometimes wild like an ocean.
Just the river was watching all of our travel.
At night, there was a trance party in the fortress. And next chapter will be final chapter of "Balkans travel".
The Last Destination / Smederevo
The Big Fortress appeared at right side of the Danube.
When the Ottoman came to subdue at the Middle age, this Serbian kingdom fortress was the last one which fought with them to the end.
After this fortress was occupied at 1459, long Ottoman period stated.
Anyway we parked our boat by the fortress.
Two big storks (the bird which brings baby) had a nest on the fortress.
Last company Nedim joined us at this town.
Nedim is old friend of Bekim and Petter. And also refugee from Hercegovina to Norway.
500 years ago big fight was happened here, but today it has turned to be a party place.
Nedim and me joined this party. The party continued until morning.
Bekim and Petter were looking forward to join this party.
But eventually they were sleeping in the boat whole night.
No choice, we were tired by the long travel.
Next day, we left Smederevo and kept on going down the river Danube.
But eventually Smederevo became final destination in this travel.
Don't be sad. See you next time!
Apr 19, 2007 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink | Comments (6)
Tags: Balkan, Serbia, Smederevo, Travel
バルカン半島の旅 No19. 「チェトニック・アイランド」8月3日〜
ドナウの洗礼
ベオグラードでサバ川は終わり、ドナウ川に合流する。
おれたちの船旅もいよいよドナウ川に舞台が移りました。
ドナウ川に入ると川幅は1km以上に広がり、それまで波ひとつなく鏡のようだったサバ川とはうって変わって、おれたちはいきなり日本海のような高波に襲われた(ちと大げさだけどサバ川からくるとそう感じました)。
船は激しく揺れ、時には波に跳ねて船が川から浮いてるんじゃないかと感じるほどだった。
さらに最初の日にビーチに停泊してた時には嵐に襲われ、危うく船を流されそうにもなった。
おれたちはさっそくドナウの洗礼を受けて、「旅」が「冒険」になっていくのを感じた。
そして更なる冒険がおれたちを待っていた!
なんつって。
チェトニック・アイランド ~ 21世紀のハックルベリーの冒険~
ドナウ川には幾つも島が浮かんでいる。
しばらく下っていくとひと際大きな島が見えてきた。感じいいのビーチに居心地の良さそうなレストランらしきもの。
人が住んでいる島なのだ。
「ちょっとあそこに寄って行かないか」
おれたちはその島に向けて舵をきった。それが事の始まりだった。
島の中のジャングルを散策すると、古い別荘らしき建物が点在していて快適な空間が広がっていた。
「ここにおれたちのベオグラード・オフィスを開こう」などと冗談を飛ばしながら、おれたち船から見えたレストランに向かった。
レストランは船から見えた通り、ごきげんな場所だった。
ビーチに出ているテーブルにはおれたちの他に店の仲間らしき若者たち。
おれたちはそこにいたみんなとビールとラキア(バルカンのブランデー)で乾杯!
例によってジャムセッションも始まった。
ドナウ川に沈む夕日を肴に楽しい時間が流れてく。
ところがしばらくするとベキムの様子が変ってきた。
「飯食ったらすぐにこの島をはなれよう」
とおれに耳打ちしてきた。
理由はこうだった。
このレストランの名前はあるセルビアの山の名前からとっているのだけど、かつてそこで激しい戦闘があった事から、現在ではその山はセルビアのナショナリズムを象徴する場所になっているという。
つまりここにいる連中はナショナリスト(民族主義者ー"おれたちサイコー。あいつらFuck" 的な思想を持つ連中)たちだったのだ。
それだけじゃなく、一緒に飲んでいるうちに彼らはスーパー・ハードコア・ナショナリストの殺戮集団、「チェトニック」と呼ばれる兵士たちだった事が明らかになってきた。しかも彼らはその特殊部隊の連中だったのだ。
※このレストランのオーナーは有名なリーダーだったみたいで、
昔のチェトニックのポスターに彼の写真が載っていた。
チェトニックはかつて大量のボスニア人やアルバニア人たちを殺してきた連中。
そしてベキムはボスニア人で、「ベキム」という名前はアルバニア系の名前。
200%最悪な状況だった。さすがのベキムも逃げ出したくなっていたのが伝わってきた。
そりゃそうだ、かつての天敵のど真ん中にいるのだから。
「おれはかつてナイフで仕事をしていたんだ」
痩せたおじさんが、つぶやいた。
つまり銃などではなく、ナイフで人を殺してきたのだという事だ。
ここのオーナーや年配の連中は今でも現役の戦争犯罪者たちで、出るところに出れば刑務所に入らなければならない連中なのだ。
セルビアに来てから出会った連中に90年代の戦争の事を尋ねると、「あれは気が狂った連中がやったことさ」とみんな答えていた。
そして今やおれたちはその「気か狂った連中」に囲まれて酒を一緒に飲んでいたのだ。
でもその事を除けば彼らは全く人のいい連中で、パッと見るとかつての敵同士が一緒に飲んでいるとは誰も気づかないだろう。
でもそれが逆に凄まじく見えて、おれは酔ってもずっと緊張感が耐えなかった。ましてやベキムの心境は計り知れなかった。
でも、結局おれたちはここに2泊して彼らとラキアを飲み続けた。かれらをおれたちのボートに招待したりもした。
仕舞いには若い連中はすっかりベキムの事を好きになっていた、いつもの街と同じように。
その様子を見ていて、破天荒だけどベキムの器のでかさを改めて感じた。
三日目の早朝、
「今すぐここを離れよう」とベキム。
おれたちはエンジンを回して、逃げるように「チェトニック・アイランド」を去った。
さすがのベキムもぎりぎりまで頑張っていたのだ。
この船旅のアイデアは、川に浮かぶ島を拠点に冒険が展開していく「ハックルベリーフィンの冒険」が元になっているんだけど、なんだか本当にドナウ川がミシシッピに見えてきたぜ。
Balkans Travel Chapter 19. "the Chetnik Island" 3rd Aug -
Greeting from Danube
The river Sava meets the Danube at Beograd.
Our travel also got on to the Danube.
From the Danube, the width of the river gets more than 1km. And immediately we got big waves. Sometimes our boat jumped by the waves. Much different from the Sava. The Sava had no wave like a mirror.
Then when we parked one beach. The big storm attacked us, she was almost going to take away our boat.
We felt our "travel" was going to turn to "Adventure".
And, here we got one more adventure .
The Chetniks island -Huckleberry Finn@21century-
There are many small islands on the Danube.
After while, we found one big island with nice beach. Also we could see one comfortable restaurant. Wao, people lives there.
"Let's check out this island!"
That was the beginning of the Adventure.
The restaurant was nice same as we saw from boat.
We drank Rakia with people from the restaurant.
Then we start to play music as usual.
Beautiful sunset at Danube. happy moment..
But,
"I want leave this island"
suddenly Bekim whispered.
His reason was like this.
The name of the restaurant, they took it from one mountain in Serbia. Big fight happened at this mountain long time ago. So today this place become a symbol of Nationalism.
That means all of people from this restaurant, they are the nationalists.
Not only that, we discovered that they were the "The Chetniks" - the army of super hard core nationalist's group in Serbia.
They were special team of Chetniks.
The Chetniks used to kill a lot of Bosnians and Albanians.
And Bekim is Bosnian, and his name is from Albania..
200% the worst situation.
Full of ex.his enemies surround us.
"I used to work with knife"
One old guy said to me.
That means he killed people by the knife.
Some of them are still the war criminals.
Since I arrived Serbia, I always asked about the war to the people.
All of them said," Crazy people did war"
So they were the "crazy people". We were drinking with the crazy people.
Slowly I began to understand the situation.
So I couldn't relax so much. But how about Bekim? I can't imagine his situation.
But eventually we stayed this island for 2 days. And young people become to like about Bekim as usual.
He is the big guy as a person.
"Let's go away now!"
Bekim said at the early morning on 3rd day.
we started our engine and left.
Our boat travel, this idea comes from "The Adventure of Huckleberry Finn".
And actually our travel has turned to adventure like Huckleberry.
I saw the Danube turned to Mississippi.
Apr 10, 2007 in Balkans with Bekim Sejranovic / バルカンの旅 | Permalink | Comments (0)
Tags: Balkan, Travel, 旅